井上陽水は「傘が無い」の中でこう歌っている

都会では自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨に濡れ
冷たい雨が 今日は心に浸みる
君の事以外は 考えられなくなる
それはいい事だろ?

30年前の事だ.
今の日本では年間3万人以上の人間が自殺している.
そして最近よく聞く言葉が、「自己責任」「自由」「自立」「独立」「変革」「終身雇用制の崩壊」マネーゲーム,投資,主体的.7つの習慣.
みんながみんな主体的であれと言う.主体的でかつ責任の取れる社会的動物であれという.
なぜこんなに急に社会が変わってきたのだろう.
テクノロジーの発達が社会の組織化エントロピー?を押し上げている.
脳の組織化も進んでいるということになる.
そう思っているのは自分だけなのか?
インターネット、携帯電話,携帯メールの爆発的普及によって民衆にとっての知のルネサンスが始まったのだ.
BLOGや2ちゃんねる、携帯電話の普及などが我々の脳を拡張せしめている.漢字はメーラーで調べるしね.
その自分自身の脳の変化に気がつかないでいる.知らない間に分からない事と分からない事が何かが分からないという事.
ファジーさが減っているという事・
そして小泉首相という存在は曖昧さを少なくとも民衆には感じさせない指導力カリスマ性を持ちナショナリズムを的感覚をテレビやメルマガという形で伝える事に成功した(と勝手に思っている)彼は構造改革政策によって曖昧さを排除しようとしている.911のテロはカタストロフィを呼び起こさせ世界を正義と悪に分けあまつさえ世界の終末さえイメージさせ,香田さん事件においては自己責任というお題目で日本人であるところの曖昧な連帯感に亀裂を起こさせた.そして日本の周りを取り巻く状況,北朝鮮の政情不安,中国の反日活動、中国と台湾の緊張,韓国との竹島問題.BSEという同族食いで発現するウイルスが起こす病気、殺人の低年齢化.子殺し,親殺し.
人類にボディブローが叩き込まれている.新しい世界がやってくるからお前ら今のうちに変化になれときなというなにかの啓示なのかなんなのか、
とにかく人と人との曖昧さ、社会曖昧さ,政治の曖昧さ,ありとあらゆる曖昧さの霧が晴れようとしていると思う.どっぴーかん、ブルーハーツの青空みたい。
明日からずっと日本は全国的に晴です.
さあ天気です、みんな外に出よう裸になろう.
お互い見せ合おう.
え脱いだら自信が無い,あんたそれは今までさぼってたからだよ.
気がついたらみんなビーチに.
隠れる所なんかほとんどない.泳ぐか寝るかナンパするか飯食うか飯売るか監視するか赤外線でつかまるか飛び降りるか.
そんな感じ.

 みんなは、世界で一つだけの花なんだよ.
 自分の出来る事をやればいい.
 自分は自分ですから・
 個人の自由・
 自己責任でお願いします
 主体的に行動しましょう.
 流行に流されない生き方
 スローライフ
全盲目的ではいけないよ、幸せになれないよ,自分を良く知り,人生を主体的に生きて,よく考え,自己を取り巻く世界を認識しないと現代を生きる上では厳しいよ、よく考えないと余計なトラブルを招いてしまうよ,巻き込まれるよだからよく考えようよ、というメッセージが急増している.
 責任の所在が明らかになってくると今まで強く何かの影響下で生活していた場合,責任を感じなくて済むと言う状況かに置いては、責任を問われること自体がそのコミュニティの存在を危うくしてしまう.
本来ならば問題の処理はコミュニティ全体で処理するような状態であった訳であって,主体的に考える人間が増えるならば,よりコミュニティを組織化していく方向へ向かうのではないか.コミュニティの人間全員が同じ考えなら問題ないが、例えばトップとヒエラルキーの下の意識が違うままだと悲劇しかない.
つまり社会はより完成度の高い状態,秩序だった状態へ加速し向かっているような気がしている.

 秩序化(進化)は人類誕生以来ずっと秩序化は進んできた事だし,昔から誰かが必ず指摘してきた事,コリンウィルソン、サリンジャー,とにかく沢山のアウトサイダーが気がついてた変化の度合いが,一般市民で凡庸な自分にもこの憂うべき状況だということ(エレカシ)がわかるという事が問題である訳だ.
であるから、変化はつまりクーンのパラダイムシフトは日本国民(世界?)を包み込んで脳のシフトチェンジが間に合わなくエンストした人間を暗い海の底へ引きずり込んでいる様に思えてならない.
 また変化の順序は個人から家庭へ会社組織へ、社会への段階でおおきく変化し,ヒエラルキーの頂上付近では既得権益を守る人間の抵抗が続いている.微妙だ.(郵政民営化とか、国民年金の徴収はきっちりするのに、年金は保障されない,わけわからん)
つまり.
情報の増大が世界の曖昧さをなくしそれにより個人が丸裸になってこと.大きな世界の変革を目の当たりにしているんだということを本当に実感できると言いたい.
それはかつて、フィリップ・K・ディックが言った「平坦な戦場で生きる」、そこからインスパイアされた岡崎京子の「リバースエッジ」のように感受性の強い人が感じていた感覚がその変化の大きさから,普通の感覚?の人々にまで、
人間の本質、孤独,生,死,経済
世界は幻想である、その事をみとめ、受け入れていかなくてはならない
という事が誰の目にもあきらかに(小学生にまで)なってきているのではと、思う.
その、荒野に一人、晴れの日も,雨の日も,風が吹いても嵐が来てもじっと立っているような、そしてふと隣をみると遥か彼方に同じ様に立っている人影を発見し,ふと前の方で何かが倒れる気配がするそんな時代なんだと.
人類は人類の共通の幻肢を発見してなんだこれはってあれこれ試行錯誤しているんだな.脳の中にいる幽霊は昔は他人の脳同士リンクしていたがテクノロジーによって分断してしまったんだ。

 まとまらんのでおわり。オチが無い・・.